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まわりの、ひらたくいうと元同僚の人々が英語の話を書いていて、

触発されたのと、自分の TOEIC スコアをすぐには探し出せなかったので、ここ10年くらいのまとめを書いてみた。振り返ってみると色々やっている。

書いてみて改めて思ったけれど、アメリカに引越してからの勉強はちょっと停滞している。TOEIC のように、英語能力を数値で測るのをやめてしまったのも良くない。来年は iKnow, Duolingo 以外のなにかを見つけたい。

2007

プログラミングが好きな大学生でした。当時に書いていたブログを読みかえすと、日本語でブログを書きつつも、タイトルだけは英語でつけるというこだわりがあったみたいだけど、全く理由が思い出せない。

この時点でも、公式のリファレンスは英語、エラーメッセージは英語、みたいな状態にはある程度の慣れはあって、なんとか英語は読んでいた。

2008

日本の会社をいくつかうけて、そのうちのひとつに就職した。

2009

  • TOEIC:605 (リスニング:300 / リーディング:305)
  • ブログをたまに英語で書くようにしていた

この年に初めて TOEIC を受けて、605点をとった。

2010

当時の Kindle は日本語さえ諦めてしまえばライフチェンジングな体験ができるデバイスだった。本が安く買えるし、すぐ届くし、本棚のスペースを気にしなくていい。何冊か英語の技術書を買ったり、当時は無料だった PragPub をダウンロードしてみたり、色々と読んでいた。

こういったメリットは結局のところ電子書籍のメリットなので、日本語の電子書籍が普通に買える2017年だと「だから英語を読もう」とはならないと思う。今だったら O’Reilly の Safari は近いかもしれない。普通に買えばそれなりにする本を、必要な部分だけ読んで、残りの部分は読まない、ということが図書館にもどこにも出かけずに出来るのは結構ライフチェンジングな体験だ。ガジェット成分がないことだけが残念。

2011

  • 英語だけでブログを書いていた
  • TOEIC:750 (リスニング:395 / リーディング:355)
  • イーオンに行きはじめた
  • RubyKaigi 2011 で海外から来ていた人々と夕飯を一緒に食べたり、よく話しかけたりしていた

振り返るとそれなりに狂っていて、日本に住んで、日本の会社に勤めているのに、なぜかブログを全て英語で書いていた。

自分の考えていること、まわりに伝えたいことを英語でどのくらい表現できるか、というのを感覚として掴むには良い実験だったけれど、自分の近くに住んでいる (イベントなどで会える可能性のある) 人々に読まれなくなるのは、東京に住んでいる地の利を大分減らしてしまうので良くなかったと思う。

RubyKaigi は、たまたま友達に誘われて、1日目の最後に海外から来ていた人々と夕飯を食べる機会があり、それでスイッチが入って、その後も色々な人に話しかけていた。プログラミング言語系のカンファレンスは、日本に住んでいるプログラマが、英語しか話せない、けど共通の話題がある人々に話しかけるいいチャンスだと思う。

イーオンに行きはじめたのもこの年だった。当時も Skype 英会話はいくつかあったけど、会社の補助があったのと、なんとなくさぼったりフェードアウトしたりしづらいかなあというのとで、物理的な英会話教室に決めた記憶がある。

2012

  • TOEIC:795 (リスニング:425 / リーディング:370)
  • 転職した

ここで外資の大企業に転職して、上司も英語、チームメイトも半分近くが英語、ミーティングで使う言語も英語、という状態になった。

転職したのは、世界の色々なところに拠点のあるような大企業での開発をみてみたかったのもあるし、英語を日常的に使おうと思ったのもある。日本の携帯電話がスマートフォンに駆逐されつつあったころで、日本語の話せる人々を東京に集めてソフトウェアを開発しても、結局はアメリカ企業に勝てないんじゃいかと悲観的に思っていたことも、少しある。

TOEIC スコアは転職前 (5月末) のものなので「TOEIC スコアが795点くらいでも、外資でエンジニアとして採用されることはある」と言える。まあ、サンプル数は1だけど。

2013

  • TOEIC:870 (リスニング:455 / リーディング:415)
  • iKnow を使いはじめた

これが自分がうけた最後の TOEIC になった。外資で働きはじめたら一発で満点とれました! とはいかなかった。

2014

  • シアトルに引越した
  • iKnow に加えて、Lang-8 を使って英語で日記を書いたりした

日本で働いていたチームが無くなってしまうというので、本社のあるシアトルのチームに引越すことにした。チーム解散即解雇ということはなく、日本に残る選択肢もあったんだけど、このチャンスを逃したら海外で働くことなんてないかもなあと思って、後悔が少なくなるような選択肢をとった。

日本で数年働いてからアメリカの本社/支社に行く場合、H1B ではなく L1 という種類のビザで行けて、これは H1B ほど取るのが大変ではない。これについてはラッキーだった。1

というわけで、タイトルに戻ると「TOEIC 605点のエンジニアがアメリカで働くようになるまでには5年かかった」ということになる。サンプル数は1です。

2015

  • iKnow に加えて、Duolingo を使いはじめて、英語のスキルツリーを完了した
  • グリーンカードの手続きをはじめた

Duolingo の英語コースは正直あんまり難しくないので、もっと早くにやったほうが良かった。

2016

  • iKnow と Duolingo をやっていた
  • 子供が生まれた

2017

  • iKnow と Duolingo をやっていた
  • グリーンカードが届いた

グリーンカードをとって転職できる身分になった。

まとめ

自分の経験から、TOEIC 605点のエンジニアが

  • 795点になるまでに3年かかり
  • そうなると外資の会社に、エンジニアとして採用されることもあり
  • そこから870点になるまでに1年かかり
  • そうなるとアメリカで働けることもある

という話を書いてみた。

あくまで自分の話なので、サンプル数は1、再現性は保証できないけれど「TOEIC で何点くらいでは、何々は出来ない」という警告みたいなものは世の中にあふれているので、ちょっとくらい「TOEIC で何点くらいでも、何々は出来る」という話があっても良いんじゃないかと思う。


  1. その後にソフトウェアエンジニアのUSビザという記事を @splhack さんが書いてくれたので、詳しくはそちらをどうぞ。 ↩︎

週3ブログ生活

Dec 13, 2017

11月の末から、ここ2週間くらい月水金とブログを書くようにしていた。karino2 さんが書いていた

やっぱりどれだけどうでも良い話を書けるか、という所が中堅どころがブログを続けられるかの勝負どころだと思うのですよね。

というのは正しくて、更新する日を決めると、自分の中の基準を下げざるをえなくなる。なんだか、以前に morrita さんが生焼け四半期なんて言っていたのをなぞっているだけな気もするけれど。

現地就職してからの1年とその前後にあった

歳をとったせいなのか、何か話し始めたり書き始めたりすると、関連して言っておきたくなっちゃうみたいなのがポロポロ出てきてしまって止まらないのって普通なんだろうか。聞き手をお待ちしております。

というのは、めっちゃわかるけど、それは単純に書く回数が減っているからでは、とも思う。

以前に CACM で読んだ “Portable Device Fears Show Power of Social Development” について書いた結果、いくつか Twitter でリンクを教えてもらった

FiveThirtyEight の ‘Screen Time’ For Kids Is Probably Fine は、テレビの影響について

These are a small number of the many, many studies that show associations between time spent watching television and health and development outcomes. But all these studies have an obvious problem: the amount of TV children watch is not randomly assigned.

と、いくつかの研究結果がテレビの影響とその他の要因の影響を分離できていないことを指摘する。例えば、テレビを子供のうちによく見る家庭は比較的貧しく、人種的マイノリティに属していて、両親も高等教育をうけていないことが多いらしい。

逆に、ここをきちんとランダムになるよう実験を計画すると、テレビの視聴時間とテストの結果の相関はもっとぼんやりしたものになるらしい。

この他に、スクリーンそのものが悪いという説や、テレビをみない間に子供がなにをするかについての暗黙の期待などについても触れられている。

一方で、Dimitri Christakis の TEDxRainier 講演である、Media and Children も見た。こちらでは、幼児期のテレビ視聴から得られる過度の刺激によって、脳ないし意識が強い刺激を好むようになり、刺激の弱いものについて適切に注意をはらうことができなくなってしまうのでは、という危険性について語られている。

大企業の存在感

Dec 8, 2017

2000年代の初頭を、Web かつ LAMP よりの開発者としてすごしたのは、自分のソフトウェア業界のみかたに影響を与えていると思う。

当時は、Microsoft の勢いに陰りがでていて 1、一方でクラウドやスマートフォンはこれから、Google は検索エンジンとしては圧倒的だったけど自社のブラウザは持っていない、という時代だった。

こういう状態が数年のあいだ自分にとっての「普通」だったので、スマートフォンが出てきて、アプリケーションの流通が企業に握られて、サーバー側もあまりソースコードが読めなくなっていって、人々が Google I/O や WWDC みたいな企業主催のカンファレンスを心待ちにしているという現状をみると、だいぶ遠くにきてしまった感がある。

Paul Graham がもうひとつの未来への道 (2001) で書いている

デスクトップソフトウェアを書こうと思ったら、マイクロソフトの土俵にあがらなくちゃならない。OSのバグを回避しつつ、彼らのAPIを呼ばなくちゃならない。そしてやっとのことで、売れるソフトウェアを書き上げた時、あなたは単にマイクロソフトのマーケットリサーチをやっていただけだったということを知るのだ。

というのは、デスクトップとマイクロソフトを何か別のものに入れ替えたら、最近もわりと既視感のある話なんじゃないかと思う。ここから完全に逃げられるかとぼんやり思っていたんだけど、そう上手くはいかなかった。

一方で、当時こそが、時代の移り変わりの谷間の特殊な期間だったんじゃないか、とも思う。私より前の世代や別のスタックに住んでいた人だったら、Microsoft の黄金期だったり、商用 Unix だったり、ソフトウェア業界における大企業の存在感というのは、あたりまえのことなのかもしれない。


  1. 2007年に、Paul Graham がマイクロソフトは死んだという文章を書いている。 ↩︎

検索について、形態素解析、N-gram, PageRank とか雑多なことは知っているんだけど、例えば「検索をパーソナライズしたい」なんてときに全くわからないので、色々 Google で論文を巡っていた。

Personalized Ranking Model Adaptation for Web Search は University of Illinoi, Microsoft Research, Microsoft Bing の人々の書いた論文で、普通に検索して最初のページをなんとかパーソナライズするのではなく

Conventional personalization methods learn separate models of user interests and use those to re-rank the results from the generic model.

こう、なんか上手いことやるらしい。読んでみてはいるけど、文字を追っている感じで、色々勉強しないと理解するのは難しそう。日本語で解説しているスライドはあったけど、それでも難しい。

論文に引用されているものを地味に読んでいくか、Kaggle の Personalized Web Search Challenge にある論文を読んでいったりすると、来年の Q1 くらいには理解できるようになると思いたい。

こういう検索と機械学習を組み合わせた分野は Learning to Rank (ランキング学習) と呼ばれているらしい。これについては DSIRNLP の発表資料がわかりやすかった。