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Voter's Pamphlet and newspapers

アメリカはいま選挙の季節で、大統領選はもちろん、知事も上院議員も下院議員も各種発案もみんな一度に投票して決めてしまうらしい。

日本との色々な差異をみると感心することも多い。例えば、街宣車 (選挙カー) が街を走り回って名前を連呼しないのは、静かで良い。一方で、リアリティ番組で有名になった不動産王が大統領になるかもしれないのは、ちょっとどうかとも思う。

テレビ討論会

大統領選にはテレビで中継される候補者同士の討論会が3回あり、そのときには主要なテレビ局はほとんどすべて討論会の生中継をしている。複数チャンネルで同じ内容を流すのは電波の無駄遣いだけど、そういうものらしい。

大統領選以外でも governor (知事), senator (上院議員), representative (下院議員) もみなテレビで討論会をしているのをみると、なるほどここは討論の国だなあと思う。

CM

討論会のほかに、テレビ CM も年中やっている。YouTube で見れるものだと、たとえば ワシントン第7区 の下院議員に立候補している Pramila Jayapal は “Listening” と題されたこんなコマーシャル などを、対する Brady Walkinshaw は “Together” と題されたこんなコマーシャル などを流している。

Brady Walkinshaw には “We Have A Choice” と題されたこんなコマーシャル もあり、こっちは「Pramila は良くないよ」という、対立候補を下げるような、比較広告じみたものになっている。この広告には Pramila 側から

Today, Elected officials, community Leaders, and labor leaders joined to refute the dishonest, misleading, and desperate attacks by Rep. Brady Walkinshaw in the 7th Congressional District race.

と、プレスリリース が出ている。

特定の候補者を下げるような広告は、対立候補からだけ出るわけでもない。たとえば州知事に立候補している Bill Bryant には Washington Conservation Voters という環境系の団体が、各種企業の献金から “He’d be their Governor, not yours” と批判するコマーシャル を放送している。

コメディアン

大統領選を見るようになってから、Saturday Night Live のような深夜のテレビ番組も見るようになった。Saturday Night Live は大統領選討論会のパロディで良く知られているけど

他にも Beyoné の Sorry のパロディで、Donald Trump の妻や娘が別れをつげる Melanianade とか、Tom Hanks がアメリカの父として悩めるアメリカと対話する America’s Dad Monologue とか、これはテレビでは見ていないけど、Hillary のものまねをしている Kate McKinnon が本物の Hillary 扮するバーテンダーと話す Hillary Clinton Bar Talk とか、政治的なネタが多くてびっくりする。

Saturday Night Live のほかにも、Jimmy Fallon の The Tonight Show には Donald Trump が出てきて髪をめちゃくちゃにされるし、Seth Meyers の Late Night には現職副大統領の Joe Biden が出てくるし、でもどちらも Wikipedia を見ると “American comedian” と紹介されていて、アメリカのコメディアンは働くなあと思う。

パンフレット

選挙にともなって Voter’s Pamphlet という小冊子 (PDF) も配布される。そういうものなのか、前に住んでいた人の住所がどこかに登録されたままなのか、外国人で選挙権の無い私のアパートにも届いていた。

これには、大統領や議員に加えて、各種投票にかけられている Initiative (住民発案) の説明も載っている。説明は HTML 版 にもあるけど、すべてが

  • Explanatory Statement (詳しい説明)
  • Fiscal Impact Statement (財政面での影響)
  • Argument for / Argument against (賛成側/反対側の意見)

というフォーマットで説明されていて、わかりやすいけど、全部まじめに読もうとするとかなりの時間がかかると思う。

Endorsement

地元の新聞は、これらの選挙で決められる人選から住民発案についてまで、細かく「こっちに投票するべきだと思うよ」という記事を出していて、これは Endorsement と呼ばれている。

The Stranger’s Endorsements for the November 2016 General Election

IT’S ALMOST OVER! We mean the election. We mean Donald Trump vs. Hillary Clinton vs. Your Sanity. That’s almost over. But in the final weeks of this fucked-up, race-baiting, Muslim-smearing, face-punching, pussy-grabbing presidential election season, it feels like our democracy could be coming to an end, too.

テンションがちょっとおかしいけど、The Stranger はそういうものなので、まあ。Seattle WeeklySeattle Times にも同じように endorsements が出ている。

新聞がこうやって支持/不支持を表明するのは、「結局のところ、朝日は左で、産経は右なんでしょ」みたいな世の中の見方に対して「いえいえ、新聞というのは中立ですよ」というポーズをとるよりは、はっきりしていて好ましいと思う。

最後に

全体的に出羽守っぽくなってしまって不本意だけど、外国の制度をみるのは「社会の制度がこうなっているのは絶対ではなくて、そうじゃない社会では、こういったことがあるんですよ」という、SF 的な楽しみがあると思う。

できれば Hillary Clinton が大統領になって、Sound Transit 3 計画 (シアトルの電車拡張計画) が通って欲しいけど、どうなるんですかね。

ほげプログラマ

Oct 24, 2016

仕事をプログラミング言語で選んだことがあまりない。「私は Perl プログラマです」「私は Java プログラマです」みたいな自己規定は自分の陣地を狭めるだけだし、そこからさらに「Perl は需要に対して供給が少ないので、就職に有利」みたいな陣取り合戦をインターネットで仕掛け出すのは手に負えない、と思っていた。

この根幹にあるのは「エンジニアリングによる問題解決が仕事であって、言語は適材適所である」という、いわゆる「意識の高さ」だと思っていたんだけど、ふりかえって考えると

  • 「言語は適材適所である」は「仕事で書くのは Perl だけど、好きな言語は Perl ではない」みたいな、不本意な境遇についてのいいわけの面があった
  • 特定のプログラミング言語に深くコミットするのは、リスクが高いけどリターンも大きい賭けで、私が当時とっていた戦略はリスクが低いのとひきかえにリターンも小さかった

というところには自覚がなかったな、と今になって反省している。

I’m Not Sure I Want To Be A Specialist

“Soft Skills” の John Sonmez は「スペシャリストであれ」という話をよくしていて、I’m Not Sure I Want To Be A Specialist でも

The thing is when you market yourself, when you put on your resume, when you give your one liner, your elevator pitch of who you are and what you do you’re going to have a very nice concise message to say if you have a good specialty and that’s critical because when you go to a party and you go to a networking event and you shake hands and people ask who you are and what you do well you go off and you say, “Well, I do a little bit of C# and I do this. I’m also an expert in this.” They forget that.

と、強く推している。

直近で転職する予定は無いんだけど、そろそろ、こういうことも考えていかないとなあ。

Space Needle

10月1日のはなしになるけど、BrickCon 2016 に行ってきた。

BrickCon は毎年シアトルでやっているレゴファンの作品展示会で、私は今年が初参加だったんだけど、だいぶ見応えがあって良いイベントだった。

最近、プログラマの人が文章を「ポエム」と称することが増えている。Qiita で created をつかって検索してみると

2014年後半に大きく増えて、その後もそれなりの成長率を示している。morrita さんから指摘があった、Qiita 自体の成長率については、末尾に Perl, Ruby, Python のヒット数をつけたので、それを参照してほしい。

「ポエム (詩) は特定の芸術形式の名前なので、卑下やエクスキューズとして『ポエム』という語を使うのはいかがなものだろうか」派閥としては、自分で使うことはないとは思う。一方で、なぜここまで人が「ポエム」という語を使うようになったかは関心がある。

2000年代: P2P における「ポエム」

Winny や WinMX のようなファイル交換ソフトで、合法に交換できるファイルの例として、あるいはただのファイルのいいかえの隠語として「ポエム」という言葉が使われることがあった。

Winny裁判を考える なぜ「幇助」が認められたか (2/3) (2006)

Winnyは、他人の著作物をアップロードすることにも使えるけれども、自作のポエムを配布するのにも使えるから、Winnyを公衆に提供する行為は「中立的行為」ということになるのですね。

時期は、WinMX の最初のバージョンがでたのが2000年か2001年、Winny のベータ版が公開されたのが2002年5月、開発者が逮捕されたのが2004年なので、だいたい2000年代とした。

2006年: 「寝言ポエム」が現代用語の基礎知識に掲載される

『現代用語の基礎知識2006』掲載キーワード発表

はてなダイアリーのキーワードから「オタ芸」「モヒカン族」などとともに「寝言ポエム」が、現代用語の基礎知識に掲載される。

カフェやモスバーガーの店先によくあるような、店員によって黒板に書かれた、自意識過剰で上滑りした見るも痛々しいひとことポエム。

うっかり読むと体感湿度が上昇する。

ブログやSNS上では、さらに頻繁に見受けられる。

こういった、詩的だけどなにかの基準に満たないものを「ポエム」と呼称する用例には、不動産のキャッチコピーに対する「マンションポエム」(2013) という呼称もある。

2013年末: 小田嶋隆『ポエムに万歳!』

ポエムに万歳! は小田嶋隆の過去のコラムを書籍化したものだ。タイトルの「万歳」は皮肉としての意味が強く、著者は「ポエム」という言葉をかなり辛く定義している。書籍発売後の東洋経済オンラインの 日本「ポエム化」現象のナゾ (2014) から引用する。

私がおおざっぱに分けているのは、鑑賞される作品として作られて、作品として読まれているものは、出来不出来はともかく、詩です。一方、本当は詩ではないものを書くはずだったのに、舌ったらずで、文章の技巧がなくて、結果的に生まれてしまったものは、ポエムだと思います。

私が問題視しているのは、政治家や役人の言葉、官公庁のプレスリリースなど、説明すべき責任のある文章がポエム化していることなのです。本来、情報を運ばなければいけないのに、気分を運んでいる。つまりポエムですよ。

ここでは、詩にかぎらないあらゆる文章について「足りない」「情報を運ばなければいけないのに、気分を運んでいる」状態を「ポエム」と呼称している。

2014年: pplog リリース

pplog は「ポエムを刻もう」をうたうウェブサービスで、ベータ版が2013年に、正式版が2014年に公開されている。

俺たちのゆるふわインターネット「pplog」 をリリースしました(してました)

サービスについての説明のかわりに、自分が最初にGitHubのIssueに書いた、恥ずかしいコンセプトポエムを晒します。けど、こんな意図の説明しなくたって、使ってくれてるユーザーさんたち(ポエマーと呼んでる)は、意図を完全に理解して使ってくれてて、すごいなーと思って見てる。

コンセプトポエムの中では「ポエム」という語そのものは明確に定義されない。一方で、小田嶋隆の定義するような「足りないもの」「情報を運ばなければいけないのに、気分を運んでいる」状態としての「ポエム」の認識と、それに対する肯定はみてとれる。

pplog では

  • 「ポエムを書くための場所ですよ」という場の設定
  • ある著者の投稿は最新一件しか読めない (パーマリンクを隠す) というアーキテクチャの制限

で、書き手の望まないコミュニケーションを回避しつつ「ポエム」的な文章を書ける場を提供している。

2014年: ポエム駆動開発

pplog の開発チームは、さらに、このコンセプトポエムから進む開発のかたちを「ポエム駆動開発」と呼称している。

ポエム駆動開発によるWEBサービスの作り方 pplog誕生ものがたり

私達はサービスを開発する前にポエムを書くことを大事にしています。それをポエム駆動開発と呼んでいます。 サービスに対する熱い思いがパートナー(もしくはチーム)で共有させれていて、それをいつでも振り返り立ち返る、ソレが一番大事です。

肯定的な意味での「ポエム」の定義は、この「ポエム駆動開発」の文脈で書かれた pixiv の 会社で「ポエム」を綴ろう! ~ポエム駆動で理想を語ると社内の風が変わる!~ がわかりやすい。

ビジネス文章としての整合性や第三者からの検証性を必ずしも重視せず,書き手自身の理想であったり熱意だったり危機感だったり,そういう何らかの感情の発露を自分の中で反芻してとりまとめた表現した文章や図面の事。規模は数行から数十行であることが多い。

現在: 「ポエム」の拡散

ここまでの

  • P2P における「ポエム」
  • 「寝言ポエム」「マンションポエム」のような、詩的だけど何かの基準に満たないものとしての「ポエム」
  • 小田嶋隆の「足りない」「情報を運ばなければいけないのに、気分を運んでいる」ことを指す「ポエム」
  • pplog およびポエム駆動開発における「ポエム」の肯定

という経緯があって、冒頭にもふれた現在の「ポエム」の流行があるのではないか、と私は考えている。

pplog にあった、パーマリンクを隠すようなアーキテクチャの制限が、Qiita や他のメディアに「ポエム」的な文章が拡散するにあたって、消えてしまっているのは面白い。

これは「ポエムです」という但し書きが意味することがコミュニティに浸透した結果とも思えるし、アーキテクチャの制限がなくなったせいで、また、書き手の望まないコミュニケーションが発生する場面が増えてしまっているようにも思う。

付録: Qiita における Perl, Ruby, Python の成長率

Perl

Ruby

Python

Perl と Ruby にくらべて Python が増えているのは、データ分析や機械学習の流行と、その分野での Python のシェアを示しているんじゃないか、と個人的には思う。ここらへん調べるのは面白そうですね。

7月に小関さんが ポケモンGOを解放せよ という文章を書いていた。

リアル空間の管理者が、バーチャルな空間まで取り締まれると思うのなら、それは少なくとも自明ではないとはっきり主張したい。

Twitter に書いたこと の繰り返しになるけど、仮想空間の所有権というのは面白いテーマだと思う。

Pokemon Go の後に書かれたものだと、The Guardian に、そのものズバリの Pokémon Go: Who owns the virtual space around your home? という記事があった。

Who does own the virtual space around you? I can’t put a billboard on your house without asking you; but is it so obvious that I should be allowed to put a virtual billboard “on” your house without giving you any say in the matter?

この記事では、空中権のはなしをひきながら、仮想空間の所有権について論じている。

Pokemon Go 以前だと、「AR空間は誰のもの?」――「ARを規制する法律はない」と牧野弁護士 (2010) と Who Owns the Advertising Space in an Augmented Reality World? (2011) が参考になりそうだった。