舎路(シアトル)日記

シアトルで働く日本人プログラマの日記です。

書くぞ! といってあまり書けていないんだけど、note の話の続き。

個人的には、noteクリエイターガイド “はじめる”編 の、とりわけ

あたりにある、書くためには読まれるべきであるけれど、読まれるためだけに書くべきではない、みたいな姿勢を好ましく思っている。

CXO (Chief Experience Officer) の深津さんも、2019年のインターネットの情報の流れに自覚的で、そこで読まれるにはどうしたらいいか、というところに考えがあって

良いと思う。

ちなみに、同じように情報の流れに自覚的で、同時代的だと思える人に Scrapbox を作っている shokai さんがいて

でもまだ、美文章滅すべしとまでは突き抜けられないなあと思っている。Scrapbox に書くときは基本的に箇条書きで書いてはいるけれど。

金銭的な収入が中心にある「生活の手段のための」ブログを書く人々は、過去記事の扱いに独特なものがあって面白い。

【初心者向け】ブログのリライトって何? 具体的な方法とコツを紹介

ブログを書いていると良く聞く言葉の1つに「リライト」があると思います

【SEO】価値の低いブログ記事は削除すべき話【判断基準を公開する】

本記事では「価値のない(≒アクセスのない)ブログ記事を削除すべきかどうか」というテーマで解説していきます。

記事を大きく書き換えたり、削除してしまったりするのは、私をふくめた古いインターネットの人 (トラックバックという言葉を知っていて、Atom と RSS の違いを説明できるくらいの人々) にはない発想だと思う。ブログなのにログじゃない。どちらかというと、Wiki というか、個人サイトっぽい考え方だ。

先に引用した人々は、どちらも URL やページの中で、日付を強調しないデザインになっていて、これもブログではない感じに拍車をかけている。

それが悪いことじゃないかとそうではなくて、むしろインターネットに有益な情報を残すという意味では、見習ったほうがいいくらいだと思う。

私は「書いた情報を更新し続けられない」という諦念が、我々を個人サイトからブログに向かわせたと信じているんだけど、そこに広告収入がちゃんとついて、以前に書いた情報をこまめに更新できる人が出てきて、それがまだブログという名前におさまっているのは面白い。

Twitter やはてなブックマークを見ると「これは間違っているな」「世の中にはこんなひどいことがまだあるのか」と思うことが多々あり、あまり良くない。専門職かつ民主主義の一員としては、それをちゃんと記憶・咀嚼して、解説するなり、デモするなり、投票につなげるべきなのだろうけど、一方でそれはだいぶリターンの悪い投資だとも思う。

結局のところ、xkcd の Duty Calls を思い出しながら、無視することが多い。”someone is wrong on the internet” に怒る以前に、私には色々とやることがある。

そういえば昔に、mala さんが技術者倫理について怒っていたなあと思って、小関さんによるインタビュー (2012) を読み直したら、最後は

僕はもうブログとか、文章で書くのはよくないと思っています。間違った情報はけしからんと自ら発信するのは技術者として間違っていて、本当は間違った情報は修正されるようなシステムを自分で作らなきゃいけない。そういうシステムを作ってこれなかったことを自省しています。

と終わっていて、ちょっと印象と違っていた。どちらかというと、高木浩光さんへ、しっかりしてください (2012) の方だったかもしれない。

なぜ間違いが指摘されなくなってしまっているのか。単に皆自分の仕事で忙しいとか、専門分野が違うので自信を持って書けないということもあるだろう。別の会社の内部事情なんて分からないのだし、所詮外部からは正確なことなんて分からない、口をはさむべきことじゃない、と考えてしまうのか。

アメリカの話を「です/ます」で書く note をはじめてみた。同様に、技術的な話は、日本語なら Qiita, 英語なら DEV に書く、というのをしばらく試してみるつもりでいる。

ふだんから人通りのあるようなプラットフォームに書くことで、いままでと違う読者を獲得できるのでは? というのが狙い。元 Amazon の Daniel Vassallo さんが Twitter

A lesson I learned about social platforms since I became active ~3 months ago is that there are large groups of people who prefer to spend their time and consume content only on their preferred platform. To reach them, you have to be there.

と書いていて、Medium に書いたものを再投稿したり、色々なソーシャルメディアに投稿しているのに影響されたのも少しある。

お気に入りのプラットフォームという発想自体が、RSS 時代から考えると後退していると思うけれど、そういうことを言い出すと grumpy な中年として新しいものを触らずに生きることになるので、しばらくは、口に出しつつも行動には影響させないでおこうと思う。

note には noteクリエイターガイド “はじめる”編、Qiita には 良い記事を書くためのガイドラインというものがあり、改めて読んでみるとちょっと気が引き締まる。

またしばらく、Twitter を英語しばりにすることにした。

はるか昔に読んだ、Eric S. Raymond のハッカーになろうで、

ハンドル名にまつわる問題については、もうちょっと詳しく書いておきましょうか。ハンドルの陰にアイデンティティを隠すのは、クラッカーや、warez d00dz や、他の下等な生の形態に特徴的な、子どもじみた愚かな行動です。ハッカーはこんなことはしません。かれらは自分たちがやることに誇りを持っていて、それに本名で関わろうとします。だからもしあなたがハンドルを持っているのなら、それをお捨てなさい。ハッカー文化において、それは敗者の印にしかならないでしょう。

なんて書いてあったのと、あと憧れていた PC Unix 界隈の人々に、実名でインターネット活動している人が多かったので、インターネットではここ10年以上実名で暮らしている。いまのところすごく困ったことはない。女性とかだとまた違うだろうから、特に他人におすすめはしないけれど。

働くようになってからは、職場の人などが自分のブログを読んでしまう可能性というのが、なにをどう書くかについての、良いブレーキになっていた。一方で、ここ数年は、仕事でつきあう人々には日本語ができない人が多く、そのブレーキがあんまり働いていない。いまのところ大事には至っていないし、もちろん NDA などは守っているけれど、なにを書いても職場の人には読まれないだろうという気持ちが、細かい表現とか、自分のインターネットでの立ち振る舞いみたいなものに、変なバイアスをかけてしまっているのではないか、という不安は少しある。

というわけで、しばらく Twitter は英語しばりにすることにした。いままでも自分の中で英語しばりにしていた時期はあったんだけど、今回はもうちょっと長期間やるつもり。ゆくゆくは個人の英語圏でのブランディングをがんばりたいというのも少しあるけれど、まずは、どちらかというと、自分にとって陰口が叩きやすくなってしまったシステムを是正する気持ちです。