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Elon Musk あんまり好きじゃないので、Twitter を止めて Mastodon にアカウントを作ってみたけど、あんまりしっくりきていない。やっぱり、マイクロブログの長さというのが、もう自分にあっていない気がするなあ。

ブログの長さくらいがちょうどいい、というのはあいまいで、ブログの長さなんてひとによってまちまちだけれど、ある程度の長さで推敲された文章を読み書きするのが、私がやりたいことにように思う。読むほうに関していうと、長い本を読み通す能力が落ちつつあるので、これはなんとかしたい。

こと推敲についていうと、ブログの投稿日に重きをおいた構成は、あんまり良くない。一人暮らしのときのように、思いついて土日で大作を書くような生活はしなくなったので、一年かけてだんだん良くしていくけど、あるていど書けたら人々にみせる、みたいなやりかたを考えたい。

日記

Re: Re: ブログ みたいに、ひとのブログとかポッドキャストに軽く感想を残すには、ブログよりも Web 日記みたいなかんじが良いよなあとちょっと思う。

ただ、わたしが日記をかくのかというと、それは上に書いているはなしと矛盾するのよなあ。

そういえば、西原理恵子の娘がつらそうだったのはそういえば今年の話で、これは とある かぞくが のこした blog のことを思い出したりした。わたしは、ハッカーになろうと、当時の PC-UNIX 界隈の雰囲気をまにうけてずっとインターネットでは実名で通しているけど、実名インターネットは物好きや強者の選択であって、家族を巻き込んでやるものではないよなあと、今は思っている。

英語

あとは、就職活動とか、文章の練習でいうと、英語で書いたほうがいいのでは、というはなしもある。2020-2021 あたりに色々なことを英語で書いていたのは、まあまあ楽しかった。わたしはリモートワークが好きなので、会える範囲に知り合いを増やす (会社が提供していた雑談の場を、会社の外に作る) のは理がかなっていて、そうなると「シアトルに住んでますよ」というのを押し出しつつ文章を書いて、同好の士をさがすのはよさそうに思う。

専門家としての役割

このはなしは定期的にしているけど、新型コロナウィルスとかウクライナのロシア侵攻とかについて人々に説明し、デマを訂正する専門家の人々をみていると、私もそういうことを一定はするべきなんだろうなとも思う。「web3 だめそうですよ」は今年ちょっとやったけど、もうちょっとまとまったかたちにしたい。こっちは日本語かなあ。

そもそも文章を書きたいのか

これもひとつあって、そもそも文章を書きたいのか、プログラマとしてソフトウェアを作りたいのかといわれると、なんかすばらしいソフトウェアを作ることを、もうちょっとがんばれよ、とも思う。仕事ではやっているけれど、私があるべきと思うソフトウェアのすべてが、仕事として成立するわけでもないからなあ。