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語らず作る

ここ数年、語ることはまあまあ出来ている (ブログを書いている) けど、作ることができてないので、だんだん作ることの比重を増やしていきたい。

語らないことは目標というよりは副作用に近い。寡黙さへの漠然とした憧れはあるけれど、これは考えるとあまり理がない。面白いものを作って、それについて話せるのが一番良い。ただ、時間の配分としては作るほうをがんばりたい。

読まずに書く

Twitter とかを見ていると「その話なら、おれにも言いたいことがあるぞ」ということが結構ある。でもこれは Duty Calls の一種で、あまり良くない。広いインターネットで、私がツッコめる程度にスキがあるひとは沢山いる。でも、それにツッコむことが自分の本来やりたいことであることは、あまりない。余暇の時間になんの問題を解くかを、他人に決めさせるべきではない。

これはすでにまあまあ出来てるので、継続していきたい。

もう一つは「この本を読んで勉強するぞ」と手をつけるも完走できないことが、ここ数年よくあって、ちょっと最近お勉強偏重になっていたんじゃないか、もっと泥縄で調べて何かを作るとか、勉強要素をコントロールする必要があったんじゃないか、というのがある。

親業との兼ね合い

一方で、親業もがんばりたい。「趣味をがんばるのは、親として完璧になってから」というのは持続性がなく、不健全だと思うけれど、こと交換可能性について考えると、親業が一番低く、会社員業は高く、インターネット創作活動は一番高い。親というか、家族としての役割を果たすのが一番難しい、というのは、今年の3月にも書いた

子育てと自転車。趣味との両立 は良かった。自転車やプラモデルに比べると、ソフトウェア開発は子供ウケしない気もするし、スマートフォンも含めたコンピュータに触れる子供の割合を考えると、そんなこともないのでは、とも思う。娘の誕生日プレゼントを作る みたいに、うまいことマージする道があると良いのだけど。

品数を減らして、イテレーションを増やす

ブログは、イテレーションをそこそこに品数を増やすアプローチだと思う。Twitter は、書ける文字数制限があるので推敲に推敲を重ねます、という道も理論上はあるけれど、実際にはさらにイテレーションを減らして、量が増えている人が多いと思う。

私は、Twitter から引いてブログにいたのだけど、さらにもっとイテレーションを重ねて、結果として品数が減ってもいいかと思っている。

ブログをずっと書いて、インターネットの議論を眺めていると、自分の書くことも、周りも、話題がループしている感じがちょっとある。それはブログ的なアプローチの限界でもあるように思う。