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Twitter で議論をするのと、Excel を方眼紙にするのは似ている。道具には向き不向きがあり、なんでもを目の前にある見知ったソフトウェアですませるべきではない。

Twitter は議論に向いたソフトウェア/メディアとは言い難い。議論に巻き込みたいひとが使っている率が高いところは良いけれど、それ以外は、短文を投稿するメディアであるという人々の認識も、リツイートやお気に入りのような機能で外部から茶々を入れられるのも、こみいった話をするのに向いた場所とは言い難いと思う。

Excel を方眼紙にしない程度には分別のある人々が、Twitter で議論めいたものをしているのをみると残念に思う。議論というか、だれかのつぶやきにだれかが反論して、程度のことなんだけど、それを Twitter でやりだしたら、こじれないものがこじれませんか、と思ってしまう。

一方で、Excel 方眼紙をしている人には「フリーカーソルではないですが Word なかなかいいですよ」と言える一方で、Twitter の代わりというのはあまり見当たらない。私はブログが好きで、ある程度の込み入った話は長く書いたほうがいいですよ、と思っているけれど、トラックバックのないブログはあまりに離れすぎている、という気持ちはわかる。

じゃあ Twitter は何にむいているのか

「発見」かなあ。ひとが多いこと、リツイートや、最近のお気に入りをタイムラインに表示する機能も、自分の近所で新しいものを発見するには良い。

議論にむいたソフトウェア/メディアとはなんなのか

私は、Design Doc 的な提案文章を書いて、それについて話し合うのに慣れてしまっている。最初に認識をあわせられるし、私の発言に誰かが反論する、というより「問題 vs. 私達」という感じが出しやすいのが気に入っている。

ただ、人類はWeb会議に向いていないので、もっとMiroを活用すべきとかを読むと、リアルタイムであることを受け入れると、もうちょっと軽い方法もあるのかなあと思う。