blog.8-p.info

日本に住んでいたころの私は、いわゆる「政治的な正しさ」というのにあまり関心がなかった。とりわけ、最近のアメリカのドラマでは、主要な登場人物として黒人やアジア人を入れなくてはいけないのですよ、みたいな話を「それは窮屈な話だなあ」と受け取っていたように思う。本来は自由であるはずの創作に PTA 的な正しさを持ち込んできてうっとうしい。

そこから色々あって、アメリカに引越して、子供を育てる立場になった私にとって「政治的な正しさ」、とりわけメディアにおける人種や性別の構成というのは、結構切実な問題になった。自分の子供たちがアメリカ社会から受け取る印象というのを心配していて「アジア人も女性も、政治家にもポップスターにもエンジニアにも、主人公にもなれる人種なんですよ」というのをわかってほしいと思っている。

これは、私とその家族がここでは少数派になってしまった、ということから来ていると思う。

「アジア人も女性も、政治家にもポップスターにもエンジニアにも、主人公にもなれる人種なんですよ」というのは、書くとバカバカしいけれど、現状をみるとそうでもない。アメリカの歴代大統領にアジア人はいないし、女性もいない。KEXPNPR に出るようなミュージシャンには、MitskiSen Morimoto がいるけれど、例えば Taylor Swift レベルのポップスターはいない、と思う。プログラマの私が働いたことがあるチームは、一貫して男性のほうが多かった。

こういう現実と、それをそのまま反映したドラマやアニメをみて、子供が「私はこれはできるけど、これはできないんだ」と思ってしまったら、それは不幸だと思う。人間がそこまでメディアに影響されるのはどうなんだ、という議論はあるだろうけれど、一方で、日本のメディアに登場する日本人男性というのは、総理大臣からエンジニアから痴漢まで幅広い。自分自身はメディアに様々なロールモデルがあふれるところで育って、他人に「メディアに影響されるなかれ」というのは、ちょっと公平さに欠ける。

そもそも、アメリカなんかに住まなければいいじゃない、という話もある。ただ、私には日本に帰るという道があるけれど、アメリカに住むアジア人全てがアジア系の国に帰れるわけではない。

自分の主張していることは、突き詰めていくと「ドラえもんに黒人を」みたいな話になってしまうという自覚はある。なんで好きこのんで移住してきた少数派とその子孫にあわせて、既存の文化が変わらないといけないのか。どうせ登場させたらさせたで、今度は描写が偏見を助長するとか怒るんでしょう。そういう面倒くささはわかる。

わかるけれど、その面倒くささは、他人と暮らすというのはそういうことなので、社会の構成員の一人として背負わないといけない類のものじゃないかと思う。