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「日本人プログラマに優秀な人はいますか?」と聞かれたら、それはもちろんいるでしょうと思うのだけど、これが「日本人プログラマは優秀ですか?」となると、それは難しい質問だなあと思う。

主語の大きさ

一つは、主語の大きさだ。「日本人プログラマ」には、メルカリや任天堂から、ホンダや自治体まで、あらゆるところで働いている人がふくまれている。これ全体をみて、さらに他の外国についても、同等の大きな集合について比較するのは難しい。少なくとも私は、そこまで日本人プログラマ全体に関して詳しくない。

公教育について各国を比較する、というのは研究している人はいるはずで、そこから各国のプログラマについて傾向を見出すことは出来るかもしれない。一方で、プログラマというのは若い人だけの職種ではないので、30歳くらいになれば、公教育からくる思考のクセみたいなものも抜けてきませんか、とも思う。

政治的正しさ

もう一つは、「日本人プログラマは優秀です」の近くには「それと比較すると、あの国のプログラマはあまり優秀じゃありません」があって、それは差別的な話になってしまうという難しさだ。私は「やっぱり日本人プログラマは優秀ですね」と言われたことはないし、反対に「ここの国のプログラマは優秀ですね」というのも、少なくともここ数年は、言ったことがないと思う。国籍については、日々の仕事でなにかの判断の材料にはできないし、容姿や性別と同じように、職場ではふれないほうが良い話題のうちの一つである、という意識がある。

こういうのを「けっ」と思う人もいるかもしれない。ただ、アメリカで働く日本人である私からすると「日本人は細かな改善は得意だけれど、オリジナリティのある大胆な発想には欠ける」みたいな意見でもって、人々が私に割り当てる仕事の種類を変えたりするようになったりすると、それはもっと困る。国籍ではなくて個人を見てほしい。

こういう政治的正しさは、不利益を被る人がちゃんといるので、あまり無視しないほうがいいと思う。

まとめ

「日本人プログラマは優秀ですか?」に答えるのは、主語の大きさと、政治的な正しさの両面から、難しいですよ、という話でした。

こういう質問をする人は、血液型でわかる今週の運勢! みたいなノリで、あまり根拠なく背中をおしてもらいたいだけなのかもしれないけれど。