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シグナルの話 への返信です。

ノイズから離れる

シグナルとノイズのうち、ノイズから離れる、というのはわかりやすい。このテレビ番組はくだらないから見ない。この本は面白くないから読むのをやめる。今回の飲み会はまたグチと噂話でおわりそうだから、理由をつけて断ろう。こういうことは誰しもがしている。

ソーシャルメディアをノイズ、と言い切るのはちょっとためらいがあるけれど、それ以前の、例えばブログにくらべたりすると、書きやすいメディアになっているとは思う。Twitter の場合は「つぶやき」という理由づけと、文字数の少なさ、Facebook の場合は、そもそも世界中から読まれたりしませんよ、という制限でもって、それは意図的に設計されている。

ただ、書きやすさは、間違えやすさでもある。

間違えやすいことは悪いことではない。世の中全体は、素早く間違えて、素早く直す方向に進んでいる。ソーシャルメディアの外でも、例えば Scrapbox のような明示的な「投稿」のない Wiki なんかは、未完成でも共有することに価値がある、という考えがベースにあると思う。

ただ、世界中が高速に間違え続けるなかで、自分が何を直すことに加わるのか、というのには意識的になったほうがいいと思う。

シグナルから離れる

シグナルから離れる、というのはわかりにくい。

自分の中でもまとまりきれていないのだけど、

  • 時間の使いかたとして、何かを書いたり作ったりする時間や、部屋を片付けたり洗濯物を畳んだりといった時間、あるいは相続や保険を見直したりするような時間を、もうちょっと増やしたほうがいいのではないか。
  • 最良の情報を探そうとする行為が、むしろ実際に行動を起こすところから自分を遠ざけていないか。
  • 考える時間や、休憩する時間をもうちょっととったほうが良いんじゃないか。10冊の本それぞれについて2時間考えるのと、20冊の本についてそれぞれ1時間考えるのでは、前者の方が良いのではないか。5冊について4時間考えるのはどうか。
  • そもそも、他人の考えに影響されすぎではないか。問題設定を他人に委ねていないか。

みたいな問題意識がないまぜになっていると思う。

参考になる本など

Cal Newport “Digital Minimalism: Choosing a Focused Life in a Noisy World” (2019) は、歴史などもよく調べられているノンフィクションで面白い。もうちょっと軽くて実用よりのものだと Jake Knapp, John Zeratsky の “Make Time: How to Focus on What Matters Every Day” (2018) も良かった。

どちらも『デジタルミニマリスト』『時間術大全』というタイトルで、2019年に邦訳が出ています。

最近は、近所の図書館でみかけた Clay Johnson “The Information Diet: A Case for Conscious Consumption” (2011) を読んでいる。

無関心

結果として無関心のすすめになっているので、そこに居心地の悪さは感じる。

民主主義国家の国民として、ある程度はニュースに関心を払うべきじゃないかとか、一応の専門家として、何かいうべきことがあるんじゃないか、という気持ちはある。

一方で、Twitter で怒ってリツイートしたり、Facebook のプロフィール画像をワンクリックで何かに変えてみたりすることに、何か意味があるのかなあ、というと、社会に対する参加のしかたとして、もうちょっと何かあるだろうとも思う。

これについては答えは出ていない。

孤独

あんまり昔のものばっかり参照するのはどうかと思うんだけど、昔に brazil さんが書いていた

僕も、前提として、まず独りの時間というものがきちんとあるべきだと思う。

とか、吉本隆明の『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ』(2002) とかも思い出したりもした。この本は、アンカテの紹介を読んで買った記憶がある。