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Cambridge Analytica 事件をあつかったドキュメンタリー “The Great Hack” を見た。

Cambridge Analytica 社は思ったよりも大きな会社だった

Cambridge Analytica の親会社である Strategic Communication Laboratories は、 普通の広告っぽいものから選挙や軍関係の仕事まで手がけるような、割とちゃんとした会社だった。

ドキュメンタリー自体も「Facebook からデータが流出」というところよりも、Cambridge Analytica の通常業務に対して疑問を投げかけるようなところが多い。例えばトリニダード・トバゴの選挙に関する広告キャンペーン事例として、クライアントのインド系の政党を利するために、アフリカ系の若年層をターゲットに「選挙にいかない」ことを呼びかけるあたりは、倫理的にかなり問題があると思う。

一方で、こういうのは『ドキュメント戦争広告代理店』(2005) あたりからある話だし、広告というのは多かれ少なかれ人々の行動を変えるために打たれるものである。

ドキュメンタリー上で Cambridge Analytica を追い詰める側の一人は The Guardian の記者なのだけど、でも例えば新聞だって、もちろん最終的には人々の行動に影響を与えているはずなのだ。アメリカの新聞はあからさまに党派性があって “endorsements” という形で、この候補に投票するべきだよ、なんて記事が選挙前に載っている。Cambridge Analytica とそれとの間に引かれる一線はどこなんだろう。

広告であることを明確にするというクレジットの問題なのか、資金がどこからきているかまで含めたトレーサビリティーの問題なのか、一定以上の細かさのマイクロなターゲティングがよくないのか、手法を問わず一定以上の効果があるものは武器/兵器として政府か何かの管理下に置かれるべきなのか、Cambridge Analytica のやっていることは行き過ぎていたと思うけど、じゃあどこまでが社会として許されていて、どこまでが実際に行われているのか、というのは私にはよくわからない。

左翼/リベラルのメッセージの弱さの話を忘れるべきではないと思う

Cambridge Analytica は、Donald Trump が勝ったアメリカ大統領選と、Brexit キャンペーンの両方に関わっていて、左翼/リベラルな人々にとっては、なんというかわかりやすく悪者である。

一方で、彼らの関与がどのくらい結果に影響したかというのはよくわからない。ドキュメンタリーの中では「アスリートがドーピングをしたら、ドーピングが結果にどれだけ関与したかに関わらず、結果は取り消しになる」という話でもって、ここの議論を避けているし、それ自体はまあ理解できなくもない。

一方で「盲目な人々が悪いテックな会社にあやつられて投票したのだ!」というのは、ブレイディみかこが EU 離脱に関して批判していたような「あいつらはわかっていない」論のバリエーションであって、ちょっと思考停止の嫌いがある。

Cambridge Analytica は倫理的に疑問のあることをしていたとは思うけれど、それはそれとして、従来の左翼/リベラル的なメッセージが有権者の疑問に答えきれていないのでは、というのは別の問題だと思う。