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育児と仕事

Oct 20, 2022

そうね、と思ったのでちょっと書いてみる。シアトル在住30代男性です。

私の子供はもう新生児ではないけれど、たとえば20代のときに比べると、勉強の時間は減っている。これは、使える時間が減ったのが半分、体力なのか必死さなのか、一時間あったときに、本を読んだりするのが減ったのが半分というかんじで、たとえばこうやってインターネットで遊ぶかわりに読書したらいいのでは、というところはある。週末や仕事のあとに、勉強会にいったりするのは止めた。

それでも、オープンソース活動は維持したかったのもあり、2人目の子供がうまれた年に、仕事でオープンソースができるようなチームにうつって、いまは containerd などを開発している。日本でオープンソース仕事というと、Ruby コミッタとか、趣味ではじめた活動で頭角をあらわしてから、仕事になったひとをよくみかけるように思う。私の containerd 活動は完全に仕事からはじまっていて、これはアメリカのプログラマ雇用の絶対数の多さの反映だと思っている。仕事が1,000個あれば、1%のチャンスが10人にまわってくる。

勉強しないと死ぬの?

むかしむかしに、高橋征義さんが、

自分で本を買って読むのはよいことだ。就業時間以外にコードを書くのもよいことだ。しかし、それは個人のたのしみのために行われるべきものであって、職業上の義務としてなされるべきものではない。それでは単なる時間外労働である。

業務のために、就業時間外にたくさん本を読め、と説く人々は、時間外労働を対価なしに(むしろ本代を払って)行え、と説いていることに他ならないはずだ。これを問題だと思わないのだろうか。私は非常に重大な問題だと思う。そのような行動をとらなければキャリアに支障を来たすというなら、それは業界そのものが深く病んでいるとしか思えない。

と書いていて、当時に、お勉強好きだった私はちょっと反省した。

その後にシアトルにきたら、連邦法に、高給とりのプログラマには残業代はらわないでいいですよ、という例外条項があったり、ジェントリフィケーションの文脈で「プログラマが増えたから家賃があがって困る」みたいな話を読んだりで、プログラマというのは、勉強してバリバリ働いて、ガンガン金を稼ぐ種類の、特殊な仕事なのかなあと思いなおしたりもした。

でもいまは子供がいるので、9時から5時だけバリバリ働きます、ということにしている。我ながら、自分に都合がいいように認識をまげている。さらに、この労働時間のなかに本を読んだりするのをいれるのも、理は通っていると思うけど、まだ実践できてはいない。

勉強しないと死ぬというのは例え話であって、まあ死ぬことはないけど、とりわけ勉強できる環境にあるひとに比べて、競争優位であるとか、分散投資にまわす原資では負けますよね、とは思う。これはしょうがない。また「子育てで学んだことが仕事に生きます」みたいな話は、今度は独身の人々に不利になるので、ほどほどにしておいたほうがいい。そういうこともあるかもしれませんが、それは登山やプラモデルでも学べます。だれもが子供がもてるわけでもない。

寝かしつけとマルチタスク

子供をだっこして寝かしつけていたころは、YouTube で Cars の短いビデオをみてから、My Analog Journal の長いビデオをみるというのをよくやっていた。これが、ポッドキャストとかオーディオブックまでいくと、私としてはちょっとやりすぎというか、会議中にラップトップで別のことをやるような、後ろめたさがある。

私の子供はもう色々がわかる年齢なので、子供と接しているときに、マルチタスクするのはやめないとなと思っている。思っているということは、完全にできてはいないということだけど。

すきま時間の活用みたいなのも「寝ないと生産性があがります」みたいなはなしと紙一重というか、たまには、なにもしない時間がないと死ぬのではと思う。こっちは例え話ではなく、本当に死にそう。