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Staff Engineer: Leadership beyond the management track を読みはじめて、うーんと思っていたら、プログラム雑談で私の名前が出てきてびっくりした。

日本のソフトウェア業界の一部には、PG から SE にステップアップする (つまり後者がえらい) とか、プログラマはえらくないとか、マネージャーがえらいとか、そういうはなしがあって、日本のインターネットにおけるプログラマ語りでは、そういうものに対する反感とか、アメリカはそうじゃないとか、日本でも Web 業界はちがう、という話がされがちだったと思う。「日本の大手企業に入ったけれど、設計だけして、下請けにまわすばかりで将来が不安でした。来月からソシャゲ作ります!」みたいな退職エントリを、一昔前はよく見かけた。

でも、アメリカでも、とりわけ人をどんどん採用するような大きい会社だと、ジュニア -> 平 -> シニア -> スタッフ、というエンジニアトラックにのって、えらくなるにつれてコードを書く量は減ってしまうよなあと思う。大きい問題を分割して統治して、他の人々の活躍の場をつくり、彼らを育てる、みたいなものが評価されること自体に異論はない。一方で、自分がそれを目指したいかというと、どうなんだろう。シニアの上にいくのは全ての人に求められるわけでもないので、半分以上は杞憂でしかないけれど。

プログラム雑談の話をすると、私も、もうちょっと「これが私のアウトプットです」と呼べるものを増やしたい。会社のものはチームの作品という感じがあって、でもそれは前述の理由でむしろ目指すべきところだと思うので、自分のものは家で作るのがいいのだろう。認知の問題なので「人々を動かして作ったこれが私の作品です」というのもやればできるけど、それは会社員的な都合の良さにむけて現実を曲げすぎな気がする。