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小関さんが TikTokの発明:起動すると始まること (2018) で書いていたことだけど、フォローしている人々の投稿を時間順に表示する、昔の Twitter のようなシステムには、

  1. 人々が自分にあう人々をフォローして
  2. フォローされた人がフォローしている人の興味にあうことを投稿して
  3. 投稿は他の人々のものが流されてしまわないように、適度に流量が制御されていて
  4. 1 について人々の変化に応じて定期的に見直し、整理する

という前提がある。1 と 4 は自分で頑張れるけど、2 と 3 は他人の働きへの期待だし、この全ての条件が満たされた状態は、滅多に発生しない。

なので、いまの Twitter も含めた運営側が、順番を並び替えたり、フォローしていないものを突然表示したりするのは、私は理解できてしまう。彼らも別に嫌がらせでやっているわけではなくて、全体を見て最適化したときに、人々の明示的に選んだ意思を無視したほうがうまくいくと気づいてしまっただけなのだ。

ただ、彼らにとっての「うまくいく」は滞在時間だったりエンゲージメントだったりしていて、ほとんどの人々とは利害が一致しない。Twitter を1日に4時間見て、2割をお気に入りに入れて、1割をリツイートするのが、今月の目標の人はいないだろう。

一方で、これをソフトウェア業界側の私がいうのは whataboutism だけれども、企業と個人の利害なんて滅多に一致しないでしょうとも思う。外食のラーメンは美味しいけれど、体に良くはないし、マンガばかりを読んでいたら、給料は上がらない。企業は私の持続可能性を気にしない。

オリオンビールがストロング系チューハイから撤退するのは英断だけれど、全ての企業がそういう倫理観をもっていて、なので企業から提供されるものを無批判に消費していても自分は大丈夫と思うのは、楽観的すぎると思う。