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今更になって、karino2 さんの F2戦役の思い出 シリーズを聞いた。大変面白かった。

私はこういう規模のデスマーチというのは体験したことが無くて、mixi プラットフォームは大変だったし、OpenSocial に国内3大 SNS (というのは mixi, DeNA, GREE のことです) が仕様を揃えてプラットフォーム化をする、というのは当時はなかなか大戦感があったけれど、多分携帯電話開発に比べたらだいぶ規模の小さい話なんだろうなと思う。他の会社に依存されたりはするけど、国とかは出てこないし、損害賠償とかもされていなかった、はず。少なくとも開発系のマネージャーが口にする単語ではなかった。

YRP というのは知識としては知っていて、多分これは 2ch の影響だろうと思う。

あと、村上春樹的みずほ銀行とか懐かしいですね。

こういう現場への警戒感があったのか、単なるラッキーか、私は新卒以降、バージョン管理システムがあって、コードレビューがあって、周りがソフトウェア開発にある程度の理解があって、エンジニアに気をつかう、というところでしか働いていなくて、それは良かった。まあ、2008年ならバージョン管理システムはどこでもあったと思うけれど、コードレビューは「GitHub 使うようになってからやるようになりました!」みたいな話をたまに聞くし、私もそれ以前のアルバイトしていたところではやっていなかったので、当時のミクシィはどこかに頑張った人がいたんだなあと思う。

それでも、mixi 含めた国内 SNS は、Twitter と Facebook には勝てなかった。それは Rails やネイティブ開発みたいな技術面とか、アジャイルとかスクラムのような開発手法とか、デザインとかユーザー中心設計とか、そういうところで頑張ったら勝てるかというと、そうは信じられない無力感があった。またその少し前あたりに、livedoor Reader の海外版の Fastladder とか、はてながアメリカにいくとか、Lingr とか、国内でちょっとかっこいい Web のサービスが、海外ではあんまりうまくいかずに終わる、というのが色々とあって、それも無力感を後押ししていた。

それならば国外、というか北米のソフトウェア開発というのを体験してみよう、というのは Amazon に転職した理由のひとつだったと思う。それから5年以上たって、シアトルにまで引越して、なにかがわかったかというと、まああんまりパッとした話はない。規模も仕事の種類も違うし、何よりも時代が違っていて、自分がいたころの日本の会社というのは数年前の話で、それと2020年の開発を比べても、それは会社の違いよりも、時代の及ぼす影響の方が大きいだろうと思う。

なんだか、こういう話は以前にも書いた気がするのでこのへんで終わり。国内 SNS の話は、かなりソーシャルゲームよりの修羅場だけど、六本木戦記がおすすめです。